題名だけ見ると、算数で言えば「2は割り切れるぞ」と突っ込まれそうな気がするけど、内容は全く違うよ。
私としては珍しく「また後で」と昨日書いて、次の日にしっかり書くなんて…一体どうしたんだろう?
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さて、「おふくろさん」問題についての思うところの1つ目の続きだが
俗に言う大御所と言われる部類に入るのだろう、森氏。
だからかもしれないが、問題発覚当初「もう「おふくろさん」は森進一の歌ですから」的な発言がありましたね。勿論、自分の歌う、その歌が広く知られている事を言おうとしたのかも知れないが、その言葉には「俺が歌ってここまで売れたんだろうが」という思いが見え隠れしていると感じましたけど。
とまぁこの辺ぐらいにしておきましょうか。
そして二つ目は
人の気持ちは割り切れないって事。漸く本来の表題に挙げた内容になり
ますが、人間頭では分かっていても、感情が理性を凌駕する事が儘ある
んですね。
最初のボタンを掛け違えてしまうと、もう後の祭りで、その後のフォロー
自体が嘘臭く見えてしまったり、相手を色眼鏡で見てしまうから厄介です。
評価を変える事、見直す事は、信頼を失う事になった経過に要した時間の
何倍もの時間と労力がかかります。
今回の騒動も仮に森氏の第一声が「何故謝りに私が…」とか「もう少し
川内先生も大人になって」(言葉の使い方は定かではありませんが、意味
あいはこんな感じ)という発言をせずにいたならば、こじれずに済んだと思います。
それに男って誰しも母親に対する思いは特別なものがあると思うんです。
作詞家の母親に対する思いは、誰彼が話す問題ではなく、当人の心の
置き方ですから、その母親に対する思いをつづった内容への改変は
作詞家本人がイカンとするならば、そのまま受け入れるべきです。
両氏とも、憤りと反省の気持ちの両方を持ち合わせているはずです。
それでも、はいそうですか、と掌を返すような態度をとれないのは
人間というものが、年齢や立場を抜きにしても、心模様で大きく振れている
割り切れない『いきもの』なんだなぁと思い知らされます。
10:22 投稿