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9月11日に思う

衝撃的な映像。航空機が超高層ビルに突っ込んで行き、崩れ落ちる
アメリカの象徴。あらかじめ用意されたかのような映像は被害が
大き過ぎて人の命が奪われている事の実感が無かった。

それから延々続いている戦争の日々。何かこの5年間で得たものが
あるのだろうか。生きる事を奪われ、家族を失い、疑う事が蔓延り
人びとから笑顔が無くなった。

時間の経過と共に、当時時のアメリカ合衆国大統領を全面的に支持する
と事件直後は息巻いていた人びとが徐々に何かが違っている事に気付き
大義名分だった大量破壊兵器は存在しなかったと数年後になって認め、
今やアルカイダとフセイン大統領の関係は無かったという議会での
発言すら出ている。開戦の真相はまだまだ先にならないと分かるまい。

でもはっきりしている事は、戦争からは何も生まれなかったと言う事
である。
大量破壊兵器の排除、テロには屈しないというスローガンの下、人間の
恐怖心を煽り、多くの人をファシズム同然のように特定の方向へ向かわ
せたこの時代、後世はどの様に判断するのだろうか。

闘争本能の無い種はより強い種によって滅んでゆくのが運命であるかも
しれないが、人の業は余りにも強すぎるのではないだろうか。
受験戦争、ラーメン戦争…等余りにも戦争という言葉が簡単に、それも
大量に使われていないだろうか。それ程までに戦争が好きな種なので
あろう。或いは深層心理にこうした日常で使われている言葉が作用し、
よりエスカレートしているかもしれない。

しかし、他の生物よりも高度な理性があるのも人という種の特徴である。
本能だけではなく、理性を最大限に働かせて行かねば、未来は決して
明るいものにはならない筈だ。経済や社会学的には今の西洋社会では
資本のある者、力のある者が他を圧倒して更なる力を手に入れる構図
になっている。

どこかで社会のシステムを根本的に改めなければ、『9.11』の悲劇は
いずれまた繰り返される事になるのではないだろうか。
諦めるのは容易いが、まだ理性や良心を信じたい。これからの未来に。


21:58 投稿

2006年09月11日 | Comments(0) | Trackback(0) | フト思う
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